こんにちは、Ericaです。
ブログやSNSを通じて、「発達障害は遺伝しますか?」「自分の特性が子どもに受け継がれたらと不安です」といった切実なメッセージをいただくことがあります。
その不安、痛いほどよく分かります。なぜなら、30歳で発達障害の診断を受けた私自身が、一番最初にその言葉の重みに囚われてしまったからです。
「私の生きづらさは、親から受け継いだものなの…?」
診断直後、そんな考えが頭をぐるぐると巡り、出口のないトンネルに迷い込んでしまったような気持ちでした。
でも、今は違います。今回は、「遺伝」という言葉の捉え方が私の中で180度変わった、ちょっと不思議で、とても温かい物語についてお話しさせてください。
「あれ、この感じ、知ってる」- 日常に潜んでいた家族との共通点
診断を受けてから数ヶ月。自分の特性を理解しようと日々を過ごす中で、ふとした瞬間に「あれ?」とデジャヴのような感覚を覚えることが増えました。
例えば、
- 鍵、どこだっけ事件: 家を出る直前に必ず鍵が見当たらなくなり、5分以上探し回る。昔から忘れ物が多くて母によく叱られていた父が、今でも同じように玄関で探し物をしている姿と重なりました。
- 一度ハマると止まらない: 興味を持ったことには寝食を忘れて没頭してしまう私の集中力。それは、趣味のガーデニングについて語り始めると止まらなくなる、母の姿そのものでした。
- 「普通」が分からない感覚: 人の気持ちを察するのが苦手で、言葉を額面通りに受け取ってしまう不器用さ。親戚の集まりで、少しずれた発言をしては場を和ませていた(?)叔父のことを思い出しました。
最初は単なる偶然だと思っていた小さな「共通点」。それが日に日に積み重なっていくうちに、私の中で一つの確信に変わっていったのです。
「ああ、そっか。私のこの特性は、私だけのものではなかったんだ」と。
「欠点」から「愛すべき個性」へ
その気づきは、私の中から「遺伝」という言葉の持つネガティブな響きを、すっと消し去ってくれました。
あれだけ私を苦しめていた「忘れっぽさ」は、おっちょこちょいな父譲りのご愛嬌に。 周りから浮いていると感じていた「過集中」は、好きなことにまっすぐな母から受け継いだ才能に。 人間関係で悩んできた「不器用さ」は、ちょっぴりユニークな叔父のいる、温かい家族の証のように感じられるようになったのです。
もちろん、発達障害の特性によって生じる困難がなくなるわけではありません。でも、そのルーツが家族との繋がりの先にあると感じられたことで、私は初めて自分の特性を「欠点」ではなく、「親譲りの愛すべき個性」として受け入れることができました。
おわりに - 遺伝は「呪い」ではなく「物語」
もし今、あなたが「遺伝」という言葉に不安を感じているなら、伝えたいことがあります。
発達障害の特性は、決して不幸の予約券などではありません。それは、あなたとあなたの大切な家族を繋ぐ、世界でたった一つの物語の一部なのかもしれません。
科学的にどうなのか、医学的にどうなのか。それも大切ですが、私はまず、自分のルーツの中に愛おしさを見つけられたことで、自分自身を肯定する大きな力をもらいました。
この記事が、かつての私のように一人で悩んでいるあなたの心を、少しでも温めることができたなら、これ以上嬉しいことはありません。